2011年6月8日水曜日

ふるさとを追われた人々

古代ローマによって根こそぎ破壊され、故郷を追われたユダヤ人は、世界各地に散り散りとなり、二千年もさまよっていた。福島の事故で「ふるさとを追われた人々」をみたとき、ふと古代ユダヤを思ってしまった▼古代ならいざしらず、二十一世紀の今、ふるさとを追われる民衆が発生していいのだろうか。人々は土地を耕し、コメを作り、魚を採って、文字通り土地と共に暮らしてきたのだ。その土地に村があり、祭りがあり、ご先祖が眠っていたのだ。生きる基盤そのものだった。その土地を追われればもはや人々は本来の人間ではなくなってしまうのではないだろうか▼ユダヤ教には「イスラエルの土地は神によってわれわれに約束された土地だ」という強い信仰があり、この信仰が、現在でもイスラエルを支えている。福島には福島の神があり、ご先祖や友人があり、生活があった▼古代ユダヤを滅ぼしたのは「他民族」であり「ジェノサイド(皆殺し)」であった。福島の民を追放したのは「同じ日本人」であり「原発という国の政策」であった▼そのように考えてくると、いかに今回の事故が深刻な悲劇であるかが判るような気がする。つまり私たちは古代ローマと同じような暴力で福島を破壊したのではないか。その加害者(政治家)を選んだ私たちも二義的には「加害者」ではなかったのか▼そう思うと泣けてくる。私たちは深く深く福島の方々にわびなければならない。何と私たちは無知であったことか。そして再びこのような悲劇を繰り返さないことを心に決めて、力強く立ち上がろうではないか▼「じいちゃんばあちゃんたち、そのとき何してたの?」と孫たちに言われないように、「二十一世紀のご先祖は立派だった」と言われる様に(S)

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