2010年10月29日金曜日

姫野雅義さんを悼む

吉野川の第十堰を撤去し可動堰化するという国の政策に反対し、運動の主導的な役割を果たした姫野雅義さん(63)が、この十月三日渓流釣りに出かけたまま行方不明となり、数日後に川辺で遺体となって発見されました。殺人事件ではないかと一瞬疑ったほど私は大きなショックを受けました▼国が一度決めた計画は止められないとずっといわれてきました。昭和三十三年、熊本と大分の県境に計画された下筌ダム(しもうけだむ)に反対した室原知幸さんは蜂の巣城をつくり(一度強制収用で壊されたがまた復活させた)、訴訟を連発して抵抗しましたが、十年間の抵抗空しく死亡しました。この闘争がのちのダム反対闘争の原点となったのです(現在の土地収用法はこのとき整備されたものです)▼姫野さんはこの経験に学び、物理的な抵抗でなく、住民運動を広げることで運動を成功させた貴重な存在でした。住民投票条例をつくらせ、それに基づいた住民投票で勝利し、国交省に第十堰破壊を断念させました。(その後自身選挙に出ましたが惜しくも敗退しています)この計画はそのご復活の話などいろんないきさつはありましたが、今年三月に前原国交相が姫野さんに最終的に第十堰を守ることを約束したそうです▼「住民運動が第十堰を守ったのだ」という実績は、そのごの運動に大きな自信を与えました。公共事業は止められる、みんなの意見で計画を進めるのだ、という考えを(折からの脱ダム宣言と共に)普及させた姫野さんの功績は大きいでしょう▼「私たちは彼から何を学ぶか」が、残された人々の課題ではないでしょうか。「歴史的な人材を事故で失った。実に悔やまれる」と十月二十五日夕刊で徳島新聞のコラムが書いたそうです(S)

2010年10月26日火曜日

ゆらぎ始めた基本高水

利根川の最大流量(基本高水)の計算の過程で、算出の大きな要素である「飽和雨量」に、実際の数値とはかけ離れた数値が用いられており「これは数値の捏造である」と若い学者が指摘し、河野太郎が国家で問題にした▼飽和雨量というのは、降雨の際、流出率100%に達するまでの雨量の合計を表す数値で、これが小さいと計算のうえでの流出量は大きくなる。利根川の場合48ミリで計算されているという。ちなみに下諏訪ダムは135ミリであった。100ミリ以下というのは常識的にみてもあり得ない数値だ▼この追求に答えて、馬渕国交相は基本高水の再検証を約束せざるを得なかった。基本高水はあまりにも高すぎる数値であり、その数値を算出するために無理な飽和雨量や流出率を用いていることは、私たちが10年も前から指摘してきたことであったが、それがここにきてやっと国会のレベルで問題になったということだと思う。その意義は大きい▼つまり国家レベルで「基本高水」が揺らぎ始めたのである。しかし、基本高水は高すぎたという事実が定着すれば「では今までのダムはみんなおかしかったのか」ということになるので、日本の官僚組織が、おいそれと非を認めるはずは無いだろう、と考えざるを得ない▼ここは住民運動の力が民主党を動かして、官僚との綱引きに勝てるかどうか、力比べにかかっている、というべきだろう。住民運動がそこまで高揚しているとはちょっと考えにくいが、ここは何が何でも力を合わせて押し切りたいものだ。ここで負ければもう10年は先延ばしになるだろ▼ダムを撤去しなければならない時代なのに、基本高水でもめているとは情けないが、これが日本の現状ではある(S)