2010年8月15日日曜日

信州の夜明け前

日本は戦争の敗北によって、軍隊を解体し、軍国主義と袂を分かった。しかし、官僚組織はそのままだったので、官僚主義は無傷だった。軍隊の強化に伴って官僚組織も強化されていたのだ。アメリカ占領軍は忠実なその官僚組織をうまく使って、目的を果たした▼「戦後体制」と呼ばれているものの実体は、実はこの「官僚体制」に他ならない。「官僚」は政治家や財界を手品のように使って「官僚王国」を創りあげてしまった。上級官僚は公共企業をうまく渡り歩いて、「貴族」の生活に浸っている。国や地方自治体の「借金」はその結果である▼そのような官僚体制の強化に貢献したものは「物言わぬ民衆」といわれる我々国民の「おまかせ民主主義」であった。『日本人の多くは、周りの人が投票するであろうと思われる人に投票する』といわれるゆえんであろう(田中康夫の言葉)▼民主主義には本来二つの面がある。一つは選挙で代表を選び、多数決で決めるというルールである。もう一つは、公共事業など大切な計画を立てる際に民衆の意見を広く取り入れるという面である。日本の民主主義にはこの第二の面が欠けている(いや官僚によって意識的に排除されているのだ)。いわば「片肺飛行」なのである▼戦後体制(官僚の独裁体制)を精算し、本当の民主主義を実現させようではないか。これが自然保護運動を含めての当面の国民的課題ではなかろうか▼田中康夫の衝撃的な出現によって「目覚まし時計」がけたたましく鳴ったが、いつのまにか「アラーム」は途中で消され、また深い眠りに陥ったのであろうか。今回の知事選の結果を見ると、信州の夜明けはまたかなり遠のいた、と断言せざるを得ない。信州はまだ「夜明け前」なのである(S)

有識者会議は果たして有識者?

前原国交相は、ダムを中止するかどうかの判断基準の設定を求めて「今後の治水対策のあり方に関する有識者会議」を設け、一月から秘密会議を十一回開いてきましたが、七月十三日「中間とりまとめ(案)」を発表しました▼非常に膨大なもので素人にはなかなか読めませんが、私が見た限り三つの大きな問題点があります。その第一は、見直す主体が「事業者」だという点です。つまり国営ダムなら大臣、県営ダムなら県知事といった具合です。ダム計画を推し進めてきた責任者の人が、見直すかどうかを決めるのです。これで果たして「中止」が進むのでしょうか▼第二の問題点は、サンクコストという考えを導入している点です。サンクコストというのは「過去のコスト」つまり今まで投資した費用は除外して、これからかかる費用と、「効果」を比較しようという考え方です。これですと、八ッ場ダムのように、いままで多額の費用がかかったダムはどうなるのでしょう▼第三の問題点は、ダム見直しに当たって「基本高水」の見直しには全く触れていない点です。基本高水はダムを造るために導入された概念ですから、これに触れなければ「ダムを造らざるを得ない」状況になってしまうのです▼このような問題点に対して「自然保護団体」からは、激しい抗議が国交省に殺到しました。見直しに当たっては住民団体をまじえた検討委員会を設けるべきだ、サンクコストは同意できないなどです▼「有識者」会議が、もっともらしい「報告書」を提出し、実際にダムを継続させようとする「魂胆」であることは明白です。これが果たして「有識者」でしょうか。だまされてはいけません。私たちは声をあげて、全面的な書き換えを求めていきましょう(S)