2011年8月28日日曜日

クイズ番組型教育機構

回答を隠し持った問題提出者がいる。参加者はその答えを正確に射止めれば、賞がもらえる。こうした場面を想像してください。どんな場面でしょうか▼「それはクイズ番組でしょう」とお答えの方、この場合は「不正解」です。私の言いたいことは…?。日本の教育です▼先日ハーバードのサンデル教授が日本に来て、講義のモデルを公開していました。サンデルさんは「答え」を持たず、「正義とは何か考えてみよう。A君どうだね。では反対意見は無いか、B君。」などとやっていましたネ。「日本の教育の仕方とかなり違うな」とショックを受けました▼日本の教育は教師があらかじめ「答え」を用意し、隠し持ったその答えを当てたものが「優等生」となり、当てられなかったものは「おちこぼれ」となる。優等生は都会へ上り(一寸法師のように)出世する。「おちこぼれ」は田舎に残り、百姓やラーメン屋になる以外ない▼そんな優等生が官僚になるとどんな官僚に育つのでしょうか。上官や国の意向をクイズ番組よろしく見事に当てて、その論理に従って行動する、「〇」をつけるべき場所に「×」をつける仲間がいると、「やつはバカだ、おちこぼれだ」と排除する、という官僚が出来上がる、という仕掛けです▼つまり、「民衆の生活など二の次だ。官僚優位の社会を創るぞ」という官僚郡が出現します。そういう教育機構になっている、というわけです▼つまり、日本の教育は「クイズ形教育機構」になっていたのです。こんな教育を明治以来百何十年も続けてくれば「物言わぬ民衆」(劣等生の群れ)が出現する一方で、支配者のために鬼退治をする一寸法師の群れが出現するのです。「原子力ムラ」もそうやってできたのではないでしょうか(S)

2011年8月7日日曜日

責任を明確にせよ!

日本国民は終戦時から戦後にかけて、戦争責任を明確にすることがなかった。そのため戦後の無責任体制が出来上がったといわれている。ドイツではニュールンベルク裁判の後、国民自らが「ナチス糾弾法」をつくって戦争指導者の責任を追及したが、日本では東京裁判で数人の被告が処刑されたあと、国民自らは戦争責任を追及せず、全てを水に流した。戦後、官僚や政治家が失政に対して誰も責任を取らないのは、戦後処理の甘さが災いしているのではないか▼このほどの原発事故に際して、未曽有の災害の責任を誰が取るのか。これは明らかに人災であり、責任者が居るはずではないか。マスコミにこの話題が載らないのは、どうしてだろうか。マスコミ自身に責任の一端があるからではないのか▼七月八日、ジャーナリストの広瀬隆氏と明石昇二郎氏は東電の勝俣会長をはじめ最高幹部三名、原子力安全委員長の斑目春樹、長崎大学山下俊一など三二名を、東京地検特捜部に告発した。告発人の広瀬隆氏は「チェルノブイリ以上のことが起きている。彼ら三二名をはっきり悪党と呼ぶ。はっきり呼ぶ」と記者会見で奥歯をかみしめたという▼酔っ払い運転のトラックが学童の列に突っ込んだら、運転手は裁判に掛けられるだろう。福島の民を故郷から追放し、子供たちを放射能の危険にさらしながら、誰も責任を取らず、勲章をもらい、(中曽根康弘は大勲位だ)高額な退職金をせしめ、のうのうと暮らしていることが許されていいのだろうか▼この際、戦後処理のあいまいさを反省し、失政に対しては責任を明確にすることを当局に求めるものである。そのことが、民主主義の成熟度を占う試金石となる。民族の危機に際し国民の決起を期待したい(S)