緊急学習集会
原子力発電を見直そう!
(2011年6月)
いま福島では大変なことが起っています。 この悲劇を繰り返さないため、わたしたちにできることはないでしょうか。
緊急学習集会を計画しました。皆様方のご参加をお願いします。
とき:6月11日(土曜日)13:30~16:30
ところ:下諏訪総合文化センター小ホール(入場無料)
DVD:今フクシマで何が起こっているか(お話:小出裕章さん)
問題提起:脱原発は浜岡廃炉から(小林峰一)
:原発と活断層(清水馨)
:東電フクシマ事故にみる戦後日本社会(藤瀬恭子)
:いま私たちに何が出来るか(毛利正道)
いま世界中で「脱原発」の運動が活発化し、6月11日は 「6.11脱原発100万人アクション」と銘打ったデモやパレードが各地で計画されています。
今回の緊急学習集会はそれらの動きに連帯して計画されたものです。
主 催 脱原発諏訪連絡会
(担当団体 環境会議・諏訪 代表 塩原 俊)
(連絡先:392-0027 諏訪市湖岸通り2-7-21-308)
(090-2525-0917)
2011年5月28日土曜日
2011年5月2日月曜日
悲しみの民族
「災害」には加害者・被害者の区別はないが、「事故」には加害者と被害者が存在する。今回の東日本大震災がもつ、災害と事故という二つの側面を混同しないことが大切であろう。これを混同し、「お互い大変ですね」「頑張ろうね」という挨拶を交わしていたのでは問題の本質が見失われてしまう▼福島の出来事は明らかに「事故」であって「災害」ではない。加害者が存在するのだ。そこを決して忘れてはなるまい。では誰がいったい加害者なのだろう。テレビを見ていると、本来加害者であるはずの人物が、平然として「解説」している▼官僚・学者・東電それにマスコミが加わって「原子力ムラ」を形成し、政治家を巻き込んで安全神話を撒き散らし「原子力行政」を強力に進めてきた。文科省は教科書を使って「安全神話」を広めてきた。問題を提起した学者は、冷遇されてきたという▼つまり今回の事故の加害者は「安全神話」をばら撒いた「原子力ムラ」の面々とそれに追随した勢力にあるのだ。酔っ払い運転をして学童の列に飛び込んだトラックに似ている。酔っ払い運転の加害者は刑法で言う「重大な過失」として、裁判にかけられなければならないだろう▼同じように、「原子力ムラ」の面々も「重大な過失」を犯したものとして裁判にかけられるべきである。当然、加害者は被害者に対して賠償する義務も生じる▼日本人は長らく「悲しみの民族」といわれ、「怒りを忘れた国民」といわれてきた。しかし、今度という今度は、様子が違っている。メールによっていろんな情報を手に入れた若者たちが、あちこちで立ち上がっている▼「悲しみの民族」は「怒りの民族」となって体制を変えていくだろう。そうならなければ日本民族に未来は無い(S)
2011年4月2日土曜日
ガンバレにっぽん!
イギリスの新聞に「がんばれ日本、がんばれ東北」という日の丸入りの日本語のコピーが載った。その下に英語で Don’t give up Japan と書かれている。つまり英語には日本語の「がんばる」に該当する単語がないらしい。マラソンの選手などを応援するときはCome onなどというらしい▼「がんばる」は比較的新しい単語だという。一万語を駆使したという漱石先生の小説には「がんばる」という語はみあたらないそうだ。かわりに「頑固張る」「我に張る」などが使われていたらしい。それらの語から大正時代に「がんばる」がうまれたらしいのだ▼昭和のはじめベルリンオリンピックで「前畑がんばれ」を連発した実況中継が流れ、その感動から「がんばる」は民衆の間で流行した。しかしスポーツ用語であったため出征する兵士などに「がんばれ」とは言わなかったようだ▼戦後、労働運動などで「がんばる」が多用され、やがて大衆の挨拶語ともなり。こどもが分かれるときに「じゃね、がんばって」などと使われるようになった▼「頑張る」とはどういう意味だろうか。「ベストを尽くす」とも違い、「全力を出す」とも若干ちがう。その人の本来持っている能力以上のもの(火事場のばか力)を引き出そうとする意味合いもある。どことなく力強さも感じる用語だ▼そして何よりも「頑張る」には仲間意識の共有がある。あいまいではあるが日本的な概念というほかない▼「がんばる」は二十世紀の日本民族が、戦争・敗戦の苦難の経験の中からつぐみだした「精神文化」である▼この文化がグローバル化の波に乗って、アフリカや中東諸国で今なお苦難にあえいでいる民衆に希望を与える「福音」となることを願っている。頑張ろうではないか(S)
2011年3月13日日曜日
2011年2月14日月曜日
民主党革命の挫折
一昨年成立した民主党政権には二つの大きな課題があった。一つは対米自主外交であり、もう一つは脱官僚支配であった。この二つを最も強く主張していたのは、小沢一郎であった▼小沢はアメリカの駐日大使のじきじきの依頼を拒否してインド洋での給油作戦から自衛隊を撤退させ、続いて「将来の在日米軍は第七艦隊だけで充分」と発言した。日本の官僚はこれにおどろき、検察が動いて西松事件をでっちあげ、彼を司法の場に引きずり出した。民主党は官僚の力に驚き、菅政権が「小沢きり」を断行した▼一方、脱官僚で無駄を省くと言っては見たが、思うように行かず、一月二十一日、菅は次官を一堂に集めて、今までの無礼を謝し、これからは皆さんのお力をお借りしたい、と訴えた▼つまり菅政権は、小沢の影響を排除しようとするあまり、対米自主と脱官僚の二つの目玉を二つとも放棄してしまったのである。与謝野の起用は「これからは自民党と同じことをやりますから、よろしく」と言っていると同じであった▼「平成維新」「コンクリートから人へ」というあの意気込みはどこへ行ってしまったのか。「緑のダム構想」という気高い理想はどこに消えてしまったのか。臆面もなく「マニフェストの改定」まで言い始め、増税路線を明確にした▼これはアメリカと官僚組織への全面的降伏宣言である。民主党革命の挫折以外の何物でもない。国民は動揺し「自民党がダメだから民主党に投票したのに、民主党までダメなら一体どうすればいいのか」と嘆いている▼民主党は自らが挫折した事実にさえ気がついていない。これが本当の挫折である。国民こそ言い迷惑だ。民主党は解体して出直すべきだ(S)
2011年1月13日木曜日
馬脚を現した阿部県政!
阿部知事は11月29日、浅川ダムの建設を続けることを決めたと発表しました。8月の知事選では建設の是非の判断を明らかにせず、就任後も慎重姿勢を崩さなかったが、実際には何も「検証」はしていなかったのです。
◇ 40年も前の計画
浅川ダムは予備調査が始まったのが1971年ですから40年も前の計画です。長いことダムサイトが決まりませんでしたが、長野オリンピックの道路が必要になり、急いでダムサイトを決めて、ダムの予算を道路のほうに転用したのです。
田中知事の脱ダム宣言により一旦中止されましたが、村井知事になり「新幹線の用地買収」にからんで、また復活され今日に至りました。
阿部知事は選挙の際、旧田中派の票狙いで、「態度保留」としましたが、それは単なるポーズであったことが明らかになったのです。
◇ 役に立たないダム
このダムは当初、浅川と千曲川の合流点(長沼地区)の内水災害に対処するためのものと説明されていました。しかし、住民運動の指摘で、内水氾濫防止に役立たないことが明らかになり、今回の県の説明では、「内水氾濫防止のためではない」とはっきりと認めました。
では何のためのダム?県は苦し紛れに「上流・中流の洪水防止のため」と説明を変えましたが、ダム建設の「目的」がなくなったのに、それを変更してまでむりやり建設するとは、「ただ建設だけが目的のダム」としか言いようがありません。
◇ 40年も前の計画
浅川ダムは予備調査が始まったのが1971年ですから40年も前の計画です。長いことダムサイトが決まりませんでしたが、長野オリンピックの道路が必要になり、急いでダムサイトを決めて、ダムの予算を道路のほうに転用したのです。
田中知事の脱ダム宣言により一旦中止されましたが、村井知事になり「新幹線の用地買収」にからんで、また復活され今日に至りました。
阿部知事は選挙の際、旧田中派の票狙いで、「態度保留」としましたが、それは単なるポーズであったことが明らかになったのです。
◇ 役に立たないダム
このダムは当初、浅川と千曲川の合流点(長沼地区)の内水災害に対処するためのものと説明されていました。しかし、住民運動の指摘で、内水氾濫防止に役立たないことが明らかになり、今回の県の説明では、「内水氾濫防止のためではない」とはっきりと認めました。
では何のためのダム?県は苦し紛れに「上流・中流の洪水防止のため」と説明を変えましたが、ダム建設の「目的」がなくなったのに、それを変更してまでむりやり建設するとは、「ただ建設だけが目的のダム」としか言いようがありません。
2010年11月30日火曜日
「浅川ダム再検証」はデタラメ
十一月二十九日、阿部知事は記者会見し、是非の判断を保留してきた浅川ダム建設について、「中止すべき重大な瑕疵(かし)は見いだされなかった」として継続する考えを表明しました。ところが発表された資料を見る限り、何ら新しいデータも観点もなく、従来の資料を並べて「重大な欠点見い出せず」と言っているに過ぎないことが分かりました▼その最大の問題点はご存知「基本高水」です。百年に一度という大雨のとき、どのような洪水が出るかを降った雨から計算して数値を出そうというものです。いくつかの過去の降雨と、その時の流出グラフを描き、その中から最大のものを選んで「基本高水」としています▼そう聞くと、誰でも「ああそうか浅川流域には過去にそんな雨が降っていたんだ」「その降雨から流出量を計算したんだ」と思うでしょう▼ところが、驚くなかれ、その高水を計算した当時は浅川流域には観測所がなかったのです。そこで、流域からかなり離れた「長野測候所」のデータを借りてきて、それをそのまま「流域内の降雨」とみなして、流出量を計算しているのです▼長野測候所は浅川流域の端から3kmも、流域の中心部からは4km以上も離れています。そんなに離れた地点のデータを流域内データとみなすとは、なんとも乱暴な話ではありませんか。長野県のように地形の複雑なところでは1km離れても雨の降り方は大変な違いがあるものです。それを無視して「一律とみなしてやってしまえ、むずかしい計算を積み重ねれば住民には分からないだろう」とたかをくくっているのです▼私たちは4年前「高水協議会」をもって、その矛盾点を指摘しました。阿部知事は読んだのでしょうか。再検証とはデタラメです(S)
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