2011年5月2日月曜日

悲しみの民族

「災害」には加害者・被害者の区別はないが、「事故」には加害者と被害者が存在する。今回の東日本大震災がもつ、災害と事故という二つの側面を混同しないことが大切であろう。これを混同し、「お互い大変ですね」「頑張ろうね」という挨拶を交わしていたのでは問題の本質が見失われてしまう▼福島の出来事は明らかに「事故」であって「災害」ではない。加害者が存在するのだ。そこを決して忘れてはなるまい。では誰がいったい加害者なのだろう。テレビを見ていると、本来加害者であるはずの人物が、平然として「解説」している▼官僚・学者・東電それにマスコミが加わって「原子力ムラ」を形成し、政治家を巻き込んで安全神話を撒き散らし「原子力行政」を強力に進めてきた。文科省は教科書を使って「安全神話」を広めてきた。問題を提起した学者は、冷遇されてきたという▼つまり今回の事故の加害者は「安全神話」をばら撒いた「原子力ムラ」の面々とそれに追随した勢力にあるのだ。酔っ払い運転をして学童の列に飛び込んだトラックに似ている。酔っ払い運転の加害者は刑法で言う「重大な過失」として、裁判にかけられなければならないだろう▼同じように、「原子力ムラ」の面々も「重大な過失」を犯したものとして裁判にかけられるべきである。当然、加害者は被害者に対して賠償する義務も生じる▼日本人は長らく「悲しみの民族」といわれ、「怒りを忘れた国民」といわれてきた。しかし、今度という今度は、様子が違っている。メールによっていろんな情報を手に入れた若者たちが、あちこちで立ち上がっている▼「悲しみの民族」は「怒りの民族」となって体制を変えていくだろう。そうならなければ日本民族に未来は無い(S)

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