2019年9月11日水曜日

霧ヶ峰メガソーラー建設は問題だ(塩原俊さん投稿記事)

2014.4.24長野日報への投稿記事

2019年9月4日水曜日

環境会議 諏訪の歩み 設立当時の話を塩原会長に聞く

<環境会議通信351号(2019.7.8発行)への投稿記事から>
環境会議・諏訪の設立は
1989 (平成元年)7月で した。それから早や 31 年目で今年はちょうど 30 周年 になります。その頃のことを知らない会員も増えたの で、発足のころのお話を塩原俊会長にお聞きしました。 (なお、詳しい事柄は佐原が当時の資料を見て付け加 えました。
会社を 55 歳で定年退職して、5年間松本へ行って、 60 歳で諏訪へ帰ってきた。その頃、霧ヶ峰にはダイケ ングループなどの別荘地開発計画それに伴う水問題が 起きており、青木正博先生たちが反対運動をしていた ()。けれど運動をリードしてきた青木先生が亡く なってしまい(1984 )、新しく組織をつくらなけれ ばと思った。いろんな人に声をかけたが、5~6人し か集まらなくて、1989 7月の設立総会のときは 20 人くらい集まった。 設立の2年目、1990 7月の定 期総会の議題を見ると、 
.霧ヶ峰高原大規模開発について 
.諏訪郡下全域のゴルフ場・リゾート開発について 
.水源保護条例制定の署名運動の取り組みについ 
とある。
当時、リゾートブームを追い風にゴルフ場や 別荘開発計画が目白押しだった。 
里山の森林の大規模伐採、ゴルフ場の農薬散布など で飲料水や農業用水の枯渇・汚染が予想されて、それ を阻止するために「水源保護条例」を制定するように と県に求める直接請求運動が起こり、長野まで何度も 行った。署名運動は 1990 7 26 日から9 23 日ま での 60 日間、県下全域にわたって展開された。その結 果、19923月「長野県水環境保全条例」が公布され た。その第 11 条には、「知事は市町村長の申し出によ り水道水源保全地区を指定することができる」とうた っている。将来の乱開発から守るべき地域対策の一つ が示されている。これを活用したいものだ。 
同じころ、1990 8 19 日、軽井沢町で「第4回ゴルフ場問題全国交流集会」が開かれ、約 350 人が参 加した。リゾートブームで儲けようとする勢力に地方が翻弄された時期で、対抗する自然保護運動も各地に 起こっていた。 
1991 9 11 日の環境会議・諏訪のチラシを見る と、「霧ヶ峰が危ない! ダイケングループが工事着 ! MDIは環境アセスメント中!」とある。会で は、ダイケングループの工事即時中止と、MDIの開発予定地を合わせた広範囲の環境アセスの実施を県と 諏訪市に陳情した。午前0時をもって審議未了・廃案 となったいわゆる「暁の市議会」を午前0時まで大勢 で傍聴して、無言の圧力をかけたのも思い出す。 
Looop のメガソーラー計画で問題になっている霧 ヶ峰の例の場所も、当時、MDIが別荘開発計画を立 て、その後、県のアセスメントを通ってしまった。し かし、MDIは南の島、ガム島でリゾート開発に手を 出し失敗して、霧ヶ峰は計画のまま立ち消えとなった。 
当初、環境会議・諏訪から「いんふぉめいしょん」 という会誌が出されていた。今は「環境会議通信」に 引き継がれている。 
当時は業者の開発計画に行政が乗っかっていた。行 政がもっとしっかりしなければいけない。信州大学の 先生たちがしっかりしていたから、いろいろな催しが あった。住民運動が盛んになると、先生たちは住民運 動を指導できなくなった。学校の先生だとやはり学内 の立場があるから難しい。運動する人たちは変人が多 く、環境会議・諏訪も変わり者の集まりだった。住民 運動は大変だから途中でいやになってしまう。 
以前は開発することはいいことだという考え方が世 の中にあった。今は地域の人が地域のことに関心を持 つようになって、変わってきた。
(
長野県企業局は、茅野市から白樺湖、霧ヶ峰、美ヶ 原に至る有料観光道路(ビーナスライン)を企画し、 1961 年茅野市から着工、霧ヶ峰の強清水まで開通 (1968 )。続いて、沢渡りから旧御射山(もとみさ やま)遺跡を分断して、八島ヶ原高層湿原の脇を通す 計画だった。霧ヶ峰に測量用のポールが立てられてい るのを見た下諏訪町の新聞記者市川一雄氏が最初に問 題を提起した。諏訪市大手町の青木産婦人科医院院長 の青木正博氏は、在野の考古学者藤森栄一氏らと立ち 上げた「諏訪自然と文化を守る会」や他団体とともに 反対運動を展開。県に遺跡と湿原を守るよう路線変更 の陳情書を提出。その後、6万人の反対署名を担いで 上京、衆議院へ車道延長計画取り止めを請願した。結 局、県企業局は遺跡と湿原を大きく迂回する南周りル ートに変更。この間のいきさつは諏訪市角間新田出身 の作家新田次郎氏の「霧の子孫たち」に詳しい。ビー ナスラインができて、現在霧ヶ峰は通過地点になり、 宿泊施設は衰退し、帰化植物等に悩んでいる。 

その頃、尾瀬にも三平峠の下から尾瀬沼畔を通過す る自動車道路計画が延びてきており、危機感を抱いた 長蔵小屋の若き三代目平野長靖(ちょうせい)氏は反 対運動の進め方の相談に諏訪市の青木氏を訪ねてきた と聞く。平野氏は 1971 7月発足したばかりの環境庁 の大石武一長官に直接訴え、長官は尾瀬の車道工事現 場を視察した。平野氏は東京で開く「尾瀬の自然を守 る会」の集会に出席のため上京途中、疲労と低体温症 のため、山中で 36 歳で亡くなった。尾瀬車道は途中ま でで 1971 12 月中止された。現在、尾瀬は車から下 りて歩いて訪れる場所となっている。(佐原・記

2013年4月1日月曜日

長寿県・長野県

国の発表した統計によると、長野県は男女とも長寿日本一だといいます。日本総合研究所は55の指標を基に都道府県に幸福度ランキングをつけ、総合一位が長野県であったといいます。「ほんとうかなぁ」とも思いますが、まぁ一応喜んでおきましょう▼ではなぜ?どんな理由?とマスコミはかしましいですが。私たちにも「これですよ」と胸を張って言えるものは見当たりません。とりあえず、野良仕事をしているからだ、お茶を飲むからだ。とでもいっておきましょうか▼しばらく考えているうちに「あっ、ひょっとしたらこれかも」と思い当たるフシがありました。それは「無愛想」ということです。わたしは全国各地を回って、定年で故郷に帰ってみると、なんとも周りの人が無愛想なのです。挨拶をしない、言葉がきつい。商店に入っても「いらっしゃい」ともいわない。自分が嫌われているのかと思ったが、そうでもない。みていると誰にでも「無愛想」なのです▼「無愛想」を心理学的?に分析すると、悪く言えば「自分勝手」良く言えば「マイペース」ということになりましょうか。要するに「オレはオレだ。ヒトのことは知らない」という態度。融通が利かないともいえるかもしれません▼「マイペース」は確かに長生きの秘訣です。間違いありません。心臓が平均して働くからです。昔から「憎まれっ子世にはばかる」といわれたのもそのことかもしれませんね。「無愛想が長生きの秘訣とは。そんな長野県人が好きなのか?」と問われても「私自身が長野県人だ」と答えるしか仕様がありません。とにかく皆さん「無愛想でもいい、マイペースで長生きしてね」(S)

2012年12月19日水曜日

選択の基準

今度の選挙で自民党が大勝しましたが、国民は何を基準に、選択したのでしょうか。「もちろん選択の基準は政策さ」と言いたいのですが、国民が実際行動で示したものは、違っていました▼原発事故後の最初の選挙ともなれば「原発問題」が争点になるはずです。長年自民党が推進してきた原発問題がまさに俎上に挙げられているのに、その自民党が大勝したのです。憲法・TPPなど重大な問題が目白押しではありませんか。それらも今度の選挙ではどこか遠くへ退けられていました▼選択の基準は「政策」ではなく「イメージ」にあったのです。「寄らば大樹の陰」という諺がありますが、国民は「なんとなく頼りになりそう」という「基準」で選択したのだろうと思います▼むかし、戦国時代の百姓は「勝ったほう」に年貢を納めて身の安全を確保しました。武田信玄・上杉謙信どちらが勝っても負けてもその勝敗には加担せず、はたから見ていて「勝ったほう」に米を納めればよかったのです▼そんな「風習」が何百年も続くうちに、国民は勝ち負けに直接関与するのではなく、「勝ち馬に乗る」という方法を選ぶようになったのでしょう。近代国家をつくったかに見える日本民族は、実はまだ戦国時代の慣習に生きていたのです▼これは「民主主義」の原則とはちょっと違っているようです。つまり、日本には「政策で選ぶ」という本当の民主主義はまだ育っていないのです▼「日本人は周りの人が選ぶであろうと思われる人に投票する」と田中康夫氏は言っていました。日本に本当の民主主義が育つのはいつのことでしょうか。大変重い課題が国民の肩に乗っています(S)

2012年10月4日木曜日

原発事故の責任追求を

・ 酒酔い運転でくるまが学童の列に突っ込み怪我をさせたとしたら、運転手や運行責任者は裁判にかけられ、相応の刑罰に処されなければなりません。ところが、今回の福島第一原子力発電所の事故については、だれも責任が追及されていないのです。国会も検察もみて見ぬ振りを続けています。なぜでしょうか。先日の北九州での科学工場の火災に際しては、翌日に家宅捜索が行われています。小沢一郎氏も随分追及されました。しかし福島の事故はそれらの何百倍もの被害を与えておきながら、東電の役員らは平然と別会社に天下っています。 ・ 福島第一原子力発電所は、米国GE社の製品だと聞いています。もしそうなら、当然製造者責任が発生するはずです。日本のトヨタの乗用車がブレーキに不備があるとして、社長が米国に呼び出され、大騒ぎを演じたことはまだ記憶に新しいところです。これが製造者責任です。今回の福島の事故に際しても当然製造者責任が問題とされなければなりません。ところが、政府も国会の報告書もこの問題については無関心です。なぜでしょうか。 ・ 日本は本当に「法治国家」なのでしょうか。責任追及のできない「治外法権」がどこかに存在するのではないでのしょうか。検察はこれを打ち破って欲しいものです。そして健全な法治国家を樹立して欲しいものです。

2012年8月20日月曜日

この暑さはなんだろう

5~6月の地球の陸地の平均気温が、統計の残されている1880年以降の同時期としては過去最高を記録したことが、米海洋大気局の調べで分かった、という記事が出た。この程度の記事では、いまさら驚かないが、そうはいっても、昨今の日本の暑さは尋常ではない▼つい十年前までは、この諏訪地方では「暑い、暑い」といっても日陰に入ればクーラーと同じような涼しさがあった。いまでは、どこに隠れても耐え難い暑さではないか。涼しい風がなくなったのである▼地球的暑さだといってしまえばそれまでだが、諏訪湖が目の前に6千2百万トンの水を湛えているのに、涼しい風が起こらないというのは異常としかいいようがない。諏訪湖を含めた諏訪の河川水が、冷却機能を喪失したからではないか▼川や湖はもともと、人の皮膚が熱を放射するのと同じように地球を冷やしていたのだ。森林もそうだろう。それがコンクリートで覆われ、コンクリートが太陽熱を吸収し、河川や大地を暑くした。熱風が街に充満し、河川水はあたかも温泉のようになま暖かい。これでは諏訪湖の6千2百万トンも沈黙するより仕方ない▼対策は無いか。川からコンクリートをはがし、築堤に沢山の木を植えよう。そうすれば、河川水の温度が低下し、涼しい風が発生する。諏訪湖の周辺に幅20メートルほどの緑地帯を設け、ぎっしりと木を植えよう。そうすれば諏訪の平に涼しい風が吹くだろう▼地球が暑いのはCO”のせい?いやコンクリートのせいではないだろうか(S)

2012年4月1日日曜日

東電原発事故の真相に迫る(

東電福島第一原発事故の本当の理由は何か?政府は、地震と津波によって、全電源喪失状態となり、原子炉の冷却ができなかったことを原因としている。しかし、専門家の中には、地震によって圧力容器や格納容器につながる配管が損傷を受け、冷却材が喪失したことが原因であると指摘している人もいる。(元原子炉製造技術者の田中三彦さんなど)
ドイツZDFが製作した「フクシマのうそ」という番組は事故の真相に迫る内容だったので紹介する。
アメリカ側の点検主任として福島第一原発で作業していたケイ・スガオカ氏は、もともと原子炉には欠陥(蒸気乾燥機に亀裂と180度反転の取り付けミス)があったと指摘している。スガオカ氏からの告発を受け、2001年に東電が報告書を改竄していることと、このようなことを続けているとやがて重大事故が起こることを新聞で訴えたのが、前福島県知事の佐藤栄佐久さんだった。この記事により、東電の原発17機全てが一時停止となった。当時の調査委員会は、東電が以前から重大な事故を隠蔽し、安全点検の報告書でデータを改竄していたことを明らかにした。これにより東電の役員は一新され、このとき代表取締役に就いたのが現会長の勝俣恒久である。その後、佐藤知事に対する復讐が始まり、不正土地取引の疑いをかけられた佐藤さんは、2006年9月5期目の任期途中で辞任に追い込まれた。(後の裁判では佐藤さんの無罪が確定している)
もう一人、同じように原子力ムラの圧力によって辞任に追い込まれた人がいる。前首相の菅直人さんだ。菅首相は、事故直後、福島第一原発から撤退したいと内密に打診してきた東電に対し、撤退を認めず、職員を現場に踏みとどまらせている。原発事故の引き金は津波だったかもしれないが、それ以前に当然しておくべき対策をしてなかったことが問題で、事故の過失は責任者にあると菅さんは証言している。(福島第一原発は、冷却に必要な海水をくみ上げやすい場所の方が経済的という理由で、標高35メートルの場所から標高10メートルの位置へ変更して建設されている)
さらに番組は、福島第一原発4号機が地震でかなり損傷していることにも触れている。もう一度大きな地震が起これば建物は崩壊し、新たな臨界が起こる。臨界が起これば、放射能は致死量に達し、この世の終わりとなるだろうと指摘している。
最後に、地震学者の島村英紀さんが、地震の揺れ速度が、これまでの予測よりずっと速まってきていることを指摘している。原発は、加速度300~450ガルの地震が来ることを想定して設計されている。(格納容器は600ガルまで耐えられるよう設計)しかし、最近の地震調査により、加速度は、4000ガルまで達していることがわかってきた。2月に東大地震研究所は、4年以内に75%の確立で首都直下型地震が襲うと発表した。島村さんは、このような地震が起こった場合には、原発が影響を受ける確率が高いと警告している。
次の大地震がくるまで、日本人に与えられている時間はどのくらいだろうか?脱原発以外に選択肢はない。